江戸ジャンプGOD

作家: T_Horiguchi
投稿日: 5月 10, 2025
更新日: 10月 10, 2025
文字数: 5,170
ジャンル: ロマンスファンタジー
タグ:
コンテスト参加除外: -
過去受賞: -
書籍化除外: -
商業化希望: -
AI - 要約

時は江戸中期。活気に満ちた大都市の裏側で、橘右京は「偽物師」としてその日暮らしを送っていた。武家の次男という身分を捨て、世を斜に見ながら、どんな名画の贋作でも作り上げる腕前で食い繋ぐ日々。彼の心は、描く偽物のように乾ききっていた。ある雨の夜、右京は裏路地で何者かに追われる不思議な童子を助ける。童子は「白」と名乗る以外、一切の記憶を失っていた。面倒に思いながらも白を長屋に匿った右京だったが、やがて童子が人ならざる力を持つことに気づく。一方、江戸では「玄道」と名乗る祈祷師が奇跡を謳って人心を掌握し、勢力を拡大していた。玄道は、白こそが真の「神の使い」であるとして、その強大な力を奪わんと右京に迫る。白の正体は、人々の「信じる心」を糧に存在する、純粋にして強大な妖だったのだ。守るべきものを得た右京は、愛する者を守るため、そして己の空虚な人生と決別するため、偽物師としての生涯を懸けた大嘘、起死回生の一大奇術を仕掛けることを決意する。これは、偽物を作り続けた男が、「本物」の絆を見つけ出す物語。


AI - 推薦文

時は江戸中期。活気に満ちた大都市の裏側で、橘右京は「偽物師」としてその日暮らしを送っていた。武家の次男という身分を捨て、世を斜に見ながら、どんな名画の贋作でも作り上げる腕前で食い繋ぐ日々。彼の心は、描く偽物のように乾ききっていた。ある雨の夜、右京は裏路地で何者かに追われる不思議な童子を助ける。童子は「白」と名乗る以外、一切の記憶を失っていた。面倒に思いながらも白を長屋に匿った右京だったが、やがて童子が人ならざる力を持つことに気づく。一方、江戸では「玄道」と名乗る祈祷師が奇跡を謳って人心を掌握し、勢力を拡大していた。玄道は、白こそが真の「神の使い」であるとして、その強大な力を奪わんと右京に迫る。白の正体は、人々の「信じる心」を糧に存在する、純粋にして強大な妖だったのだ。守るべきものを得た右京は、愛する者を守るため、そして己の空虚な人生と決別するため、偽物師としての生涯を懸けた大嘘、起死回生の一大奇術を仕掛けることを決意する。これは、偽物を作り続けた男が、「本物」の絆を見つけ出す物語。

享保の世。八代将軍吉宗の治世の下、江戸の町は爛熟の頂点へと向かっていた。燃え盛るような活気が表通りを埋め尽くす一方で、その光が届かぬ裏路地には、濃い影が澱のように溜まっていた。

神田の薄汚い長屋の一角。橘右京は、絵筆を口に咥え、目の前の衝立に描かれた虎の絵を睨みつけていた。尾形光琳の筆致を写し取った、寸分違わぬ贋作。本物と並べても、目利きの商人ですら首を傾げるほどの出来栄えだ。だが、右京の心は少しも満たされない。彼は「偽物師」。大名から預かった名品を密かに写し取り、本物とすり替えては、その日暮らしの銭を得る。それが彼の生業だった。

元はれっきとした武家の次男坊。だが、窮屈な家風と、偽善に満ちた武士の生き方に嫌気がさし、十五で家を飛び出した。それから十年。彼に残ったのは、幼い頃から叩き込まれた絵の腕前と、世の中の全てを嘲笑うような、ひねくれた心だけだった。

「……つまらねえ」

誰に言うでもなく呟き、右京は筆を置いた。衝立の虎は、勇猛であるはずなのに、どこか虚ろな目をしている。まるで、己の心を映しているかのようだった。

その夜、仕事を終えた右京が、なじみの煮売り屋で安酒を呷って長屋に戻る途中、強い雨に見舞われた。近道だと足を踏み入れた暗い裏路地で、彼はそれを見つけた。

「そこをどけ!」 「小僧を渡せば、命だけは助けてやる!」

数人の黒装束の男たちが、ずぶ濡れになった一人の子供を取り囲んでいた。子供は、年は五つか六つか。闇の中でも際立つほど真っ白な着物を着て、真っ白な髪をしている。その顔立ちは、まるで精巧な人形のように整っていたが、瞳には怯えの色が浮かんでいた。

厄介事はご免だ。右京は踵を返そうとした。だが、子供の、助けを求めるように自分に向けられた真っ直ぐな視線に、足が縫い付けられたようになった。舌打ち一つ。彼は、懐に忍ばせていた護身用の鉄扇を抜き放った。

「野暮な真似はよしな。その子供、俺が預かった。命が惜しくば、さっさと消えな」

右京は、腕っぷしが強いわけではない。だが、修羅場をくぐり抜けてきた男特有の凄みが、その声にはあった。黒装束の男たちは一瞬怯み、顔を見合わせる。その隙を突き、右京は子供の腕を掴んで駆け出した。雨に濡れた石畳を滑りながら、迷路のような路地を抜け、どうにか長屋に転がり込む。

「はあ、はあ……。とんだ災難だ。おい、小僧。お前、何者だ? あの連中は何だ?」 息を切らしながら問い詰める右京に、子供はか細い声で答えた。 「わからない……。何も、覚えてない。ただ……自分の名前が『白』だということだけ……」

記憶喪失。厄介事の極みだ。右京は天を仰いだ。だが、この土砂降りの中、幼子を叩き出すほどの非情さも持ち合わせていなかった。 「……仕方ねえ。今夜だけだぞ。明日の朝には、さっさと出ていけ」 そう吐き捨てて、右京は白に乾いた手拭いを投げ渡した。白は、小さな声で「ありがとう」と言うと、部屋の隅で小さく丸まった。

翌朝、右京が目を覚ますと、白は部屋の掃除をしていた。小さな体でかいがいしく働く姿に、右京は毒気を抜かれる。そして、奇妙なことに気づいた。昨日まで蕾だった、窓辺に置かれた鉢植えの朝顔が、見事な花を咲かせている。何年も花などつけたことのない、枯れかけの鉢植えだったはずだ。

その日から、右京と白の奇妙な共同生活が始まった。右京は何かと理由をつけては、白を長屋に置き続けた。白が来てからというもの、右京の周りでは、小さな奇跡のような出来事が頻繁に起こるようになった。描きかけの絵の鯉が、紙の上でぴちぴちと跳ねる。米びつの米が、いつまで経っても減らない。最初は気のせいだと思っていた右京も、これが白の仕業なのだと、次第に確信するようになっていった。

この子供は、人ならざる何かだ。 その事実に気づいた時、偽物師としての右京の心が囁いた。この力、上手く使えば大儲けできるのではないか、と。

手始めに、彼は近所でも羽振りの良いことで有名な呉服屋の主人に声をかけた。主人が、先祖代々伝わるという根付を失くして嘆いているという噂を耳にしていたからだ。 「旦那。お困りのようですな。私に、ちと心当たりが」 右京は、いかにも胡散臭い笑みを浮かべて言った。 「この童は、ちとばかり不思議な力を持っておりまして。旦那の失くしもの、言い当ててご覧に入れましょう」

主人は半信半疑だったが、藁にもすがる思いで頷いた。右京は白を主人の前に座らせる。白は、ただじっと目を閉じているだけだった。やがて、ゆっくりと目を開くと、小さな指で店の奥の蔵を指さした。 「古い、桐の箪笥。三番目の、引き出しの、奥……」 主人が慌てて蔵を調べさせると、果たして、埃をかぶった引き出しの奥から、目当ての根付が見つかった。主人は大喜びで、右京に分厚い礼金を握らせた。

そんなことが何度か続いた。右京の懐は潤い、生活は楽になった。だが、金を手にするたびに、彼の心は逆に虚しくなっていく。それは、白の曇りのない、自分を信じきった瞳を見るのが辛かったからだ。白は、右京が自分の力を金儲けに使っていることなど露とも知らず、ただ人の役に立てたことを喜んでいた。その純粋さが、偽物の世界で生きてきた右京の胸を締め付けた。

そんな折、江戸の町では、ある噂が広まっていた。「玄道」と名乗る祈祷師の一団が、浅草のあたりを根城にし、不可思議な力で病を治したり、未来を予言したりして、急速に信者を集めているという。そのやり口は、右京がやっていることとよく似ていたが、規模が遥かに大きかった。

「玄道様こそ、生き神様だ」 人々は熱狂し、なけなしの金を玄道の教団に注ぎ込んだ。右京は、その噂に同類の匂いを嗅ぎ取り、眉をひそめた。偽物師の勘が、あれは危険な代物だと告げていた。

ある月夜の晩だった。右京が白と共に眠っていると、長屋の戸が乱暴に蹴破られた。なだれ込んできたのは、かつて白を追っていたのと同じ、黒装束の男たちだった。そして、その中心には、派手な法衣をまとった、蛇のように冷たい目をした男が立っていた。玄道だ。

「ようやく見つけたぞ、真の『器』よ」 玄道は、白を見て、歪んだ笑みを浮かべた。 「その偽物師から離れ、我らの元へ来るのだ。お前こそが、この世を導く神の使いとなるべき存在」

右京は、白を背中にかばい、鉄扇を構えた。 「寝言は寝て言え。この子に指一本でも触れてみろ。ただじゃおかねえぞ」 「愚かな。人ごときが、我らに逆らうか」 玄道が手を振ると、黒装束の男たちが一斉に襲いかかってきた。右京は必死に応戦するが、多勢に無勢だ。あっという間に取り押さえられてしまう。

「やめて!」 白が、悲鳴のような声を上げた。その瞬間、彼の体から眩い光がほとばしり、黒装束の男たちを吹き飛ばした。部屋中の物がガタガタと震え、長屋が崩れ落ちんばかりに揺れる。

「おお……! やはり、これほどの力だったか!」 玄道は、恐怖するどころか、恍惚とした表情でその光景を眺めていた。 「白よ、思い出すがよい。お前が何者であるかを」

玄道の言葉に呼応するように、白は頭を押さえて苦しみ始めた。彼の脳裏に、断片的なイメージが流れ込んでくる。人々が祈りを捧げる姿。戦の炎。飢饉に苦しむ村。喜び、悲しみ、怒り、願い。数多の人々の「信じる心」。

「そうだ……僕は……」 白は、自分の正体を思い出した。彼は、特定の神仏ではない。人々が何かを強く信じ、願う心、その集合体が形を成した「概念としての神」。強力な妖、あるいは荒魂そのものだった。そして、目の前の玄道もまた、かつては自分と同じ存在だった。だが、玄道は人々の信仰心だけでなく、その欲望や憎悪を喰らい、邪な神へと堕ちてしまったのだ。

「さあ、我と一つになるのだ、白。そうすれば、我らは真の神となり、この日ノ本を支配できる」 玄道は、白を取り込もうと、その手を伸ばした。白は、自分の力を完全に解放すれば、この江戸の町が吹き飛んでしまうことを知っていた。彼は、力を抑えようと必死に耐える。その姿を見て、右京の中で何かが変わった。

もう、偽物でいるのは終わりだ。この子を守る。この、俺が初めて本物だと信じられた存在を。

「させるかよ、外道が!」 地面に押さえつけられていた右京は、渾身の力で体を跳ねさせ、懐から小さな煙玉を床に叩きつけた。目潰しの煙が部屋に充満する。右京はその隙に白の手を取り、再び闇の中へと逃げ込んだ。

息を切らしながら、隅田川の岸辺まで逃げてきた二人。だが、玄道の追手は執拗だった。 「どうすれば……」 追い詰められ、途方に暮れる白に、右京は言った。 「白。俺に、お前の力を貸してくれ。俺は偽物師だ。だがな、偽物師にしかつけねえ、とびっきりの嘘がある。奴らを、江戸中の人間を、まとめて騙し通す、生涯一度の大嘘だ」 右京の目は、いつになく真剣な光を宿していた。それは、虚ろな虎を描いていた時の目とは、全く違う光だった。

作戦は、三日後の満月の夜に決行されることになった。その日、玄道は浅草の広場で、大々的な降臨の儀式を行うと宣言していた。自らが神であることを、江戸中の民に見せつけるのだという。そこが、勝負の場だった。

右京は、三日三晩、不眠不休で絵を描き続けた。彼が描いたのは、一枚の巨大な掛軸。そこには、玄道が信仰の対象として掲げている、禍々しい姿の「偽りの神」とは全く違う、慈愛に満ち、それでいて荘厳な、誰もが見たことのない「神」の姿が、魂を削るような筆致で描かれていた。それは、右京が想像しうる、ありとあらゆる神仏のイメージを統合し、昇華させた、究極の「偽りの本物」だった。

そして、儀式の夜。広場は、玄道を信じる熱狂的な群衆で埋め尽くされていた。玄道が祭壇に立ち、妖しげな呪文を唱え始めると、空がにわかにかき曇り、稲光が走る。彼の妖術だ。人々はひれ伏し、その奇跡に熱狂した。

その、まさにクライマックスの瞬間。 広場の向かいにある芝居小屋の屋根に、二つの人影が現れた。右京と白だ。 「皆の者、目を覚ませ! そやつは偽りの神だ!」 右京の声が、広場に響き渡った。群衆が、何事かと空を見上げる。

「真の御仏は、我らと共にある! いざ、降臨なされ!」 右京が叫ぶと同時に、白がその小さな両手を天に掲げた。彼の力が、右京の描いた巨大な掛軸へと注ぎ込まれる。掛軸は、まるで内側から光を放つように輝き始め、描かれた神の姿が、現実の形を持って、夜空に浮かび上がった。それは、ホログラムのように、巨大な幻影となって江戸の空に降臨したのだ。その姿は、玄道の起こす禍々しい奇跡とは比べ物にならないほど、神々しく、荘厳だった。

「おお……!」 「なんという……!」

広場の群衆は、息を呑んだ。玄道の信者たちでさえ、そのあまりの神々しさに、心を奪われた。彼らの信仰心は、一斉に玄道から離れ、右京の作り出した「本物の神」の幻影へと向かった。 「馬鹿な……! ありえん! 我こそが神だ!」 信仰という力の源を失った玄道は、急速にその力を失っていく。彼の体は黒い霧のように揺らぎ始め、人々の賞賛は、やがて彼への疑念と罵声へと変わった。 「偽物だ!」 「我らを騙していたのか!」

群衆の「信じない」という強い心が、刃となって玄道に突き刺さる。彼は断末魔の叫びを上げると、跡形もなく消滅した。

戦いは終わった。夜空に浮かんでいた神の幻影も、すうっと消えていく。広場には、呆然とする人々と、静寂だけが残された。

長屋に戻った右京は、疲労困憊でその場に倒れ込んだ。白が、その傍らにそっと寄り添う。 「ありがとう、右京。僕を守ってくれて」 「……礼を言うのはこっちだ。お前のおかげで、俺は、初めて本物の絵が描けた気がする」 右京は、照れくさそうに言った。

「白。お前はもう、自由だ。どこへでも行くといい。神として生きるもよし、人の世から消えるもよし。お前の好きにしろ」 しかし、白は静かに首を振った。 「僕は、ここにいる。右京と一緒にいたい。僕は、大勢の人に信じられなくてもいい。たった一人、右京が僕を信じてくれるなら、それでいいんだ。僕は、もう神様じゃない。ただの、白だよ」

その言葉を聞いて、右京の目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、偽物師の彼が、生まれて初めて流した、本物の涙だった。

その日を境に、江戸の町から偽物師・橘右京の姿は消えた。代わりに、町の一角で、魂のこもった力強い絵を描く、一人の無名な絵師が評判になり始めた。その傍らには、いつも、真っ白な髪の少年が、楽しそうに墨をすっている姿があったという。

彼らが本当の親子だったのか、それとも全くの他人だったのか。それを知る者はいない。ただ、偽物の世界で生きてきた男と、神様であることをやめた少年が、誰よりも本物の絆で結ばれていたことだけは、間違いのない事実だった。